放課後になって僕はさっさと荷物をまとめた.
前の方を見るとなぎささんももうカバンに手をかけていた。
ふとなぎささんが僕を振りかえり
僕らは・・・なんとなく微笑みあった。
僕にとってはそういう一瞬がとてもうれしくて
心の中が本当に暖かくなった。

なぎささんが先に席を立ち周囲の女友達に声をかけて廊下に出ていく。
彼女が僕と一緒に帰るということは周知の事実になっていて
女の子達もいつも一人で教室を出ていくなぎささんを
当たり前のように見送っていた。
そこには僕に対する何の悪意も感じられなかった。
僕が小学校で登校拒否気味だったとか
ほとんど友達がいなかったとか
わざわざそんなことを言いふらす奴もいなくて
僕は本当に救われた。

特定の男子と行動をとれば
やっかみやいたずらな気持ちから
からかったりはやし立てたりすることがありがちだが
不思議と僕らにはそういうことは起こらなかった。
それは多分なぎささんの人柄のせいなんだろうと僕は思った。
彼女はクラス全体から見れば目立たないほうだったが
いかにもかわいらしい、女の子らしい人だった。
茶色く長い髪はいつもきれいに櫛がとおっていて
さらさらと光って見えた。
肌がとても白くってまつげが長かった。
勉強はわりとできるんだけど
そういうことを皆にひけらかすわけでもない。
彼女の学生カバンには手作りのマスコットがいっぱいぶら下がっている。
ハンカチなんかも自分でレースの縁取りをつけていて
時々手作りのクッキーなんかを友達に分けていた。

そういう少女漫画から抜け出たようななぎささんが
どこか壊れている僕といることはやはり不思議で
彼女は僕に何を求めてるのだろうと正直考えたこともある。
だけどそれを聞くのはとても怖いことで
僕はそれを確かめることはできなかった。
彼女は恐らく僕に
大きな勘違いなイメージを抱いているのだろうと思ったから。
母親似の僕は顔つきもどことなく中性的で
男らしさとは思いきりかけ離れていたし
相変わらず茶色い髪は母親の友人だという美容師さんが
毎月こまめにカットしては染め直していて
僕の外見は・・・そう、
派手な物が好きな僕の母親の好みそのものだった。

中学一年生としてはやはり僕は背も高いほうで
僕の風貌は自分でいうのもおかしいけれど
アイドルまがいのように思えた。
母親はジャニーズが好きなんだ。

僕は母親にとってはどういう存在なのだろう?

僕が母親との事で覚えている一番古い映像は
泣きじゃくる僕を夜の繁華街に
一人置き去りにした母の姿だ。

僕をいらないといって
銀行の角に捨て置いた母親の姿だ。
それはとても寒い夜で
ネオンが冷たく輝いて
なんとなくドブの匂いがしていた。
母親は赤いドレスで着飾っていたけどかなり酔っていて
何度も何度も僕の頭をこぶしでたたいた。
僕がいたためにスナックで遊べなかったとすごく怒ったんだ。
僕の記憶が確かでないと思うけれど
人ごみの中でわめく母親の姿が
今でも僕の記憶に鮮明で
あんたのために私は一人ぼっちだ
誰とももう遊べないと
僕を激しくののしった。
そして駅前の銀行の角に僕は捨てられたのだ。
母親は言った。
あんたはもう要らないと。

僕は捨てられるのが怖くて
泣きながら母親にしがみつくんだけど
母親は僕をぶって
いらない子だからもう知らないと大声をあげた。
いつのまにか周囲に人だかりができ
どこかからがおまわりさんがやってきて
自分の子供を捨ててはいけないと困った顔で母親を説得したのだけれど
母親は泣きじゃくりながらただ繰り返した。
こんな子は要らない、
子供なんか要らなかったんだ、と。

僕はその周囲の景色をよく覚えていて
小学3年生の夏にその場所を確かめに行ったことがある。
僕に残るその記憶が
本当なのかどうか知りたくて
小さいころの夢の記憶をたどってみたのだ。
優しい母親がそんなことをするはずがないのに
こんな記憶を持つ僕はおかしいのだと
それを確認するために。
そしてこれが僕の思い違いで
夢ならいいなあと思いながら。

電車に乗って3つ目の駅前は
開けた繁華街で駅前に大きな銀行のビルが建っていた.
僕はその西側のショーウインドウをはっきり覚えていて
その前の石段に自分が座っていたと思った。
100メートルほど先に派出所があり
僕はその方向へ歩いていった。
夢のとおりに二つ目の路地を右に曲がると
そこは焼鳥屋やうどん屋の看板が所狭しと並んでおり
奥のほうに見たことのある木のドアの飲み屋があった。
どこからかドブの匂いがする。

あのスナックはここだった。

母親が
泥酔して
店から追い出される様を
僕は思い出した。

僕は呆然とした。
僕の記憶が正しければそのとき僕はまだ3、4歳で
母親も23か24歳の筈なのだが
そんな僕の記憶が本当に正確だということに驚いた。
そして
僕は確認した。
あの記憶はうそじゃない。
僕はやはり
あの時
捨てられたのだ、と。

母親は僕をめったに抱くことはなかった。
僕が手を伸ばしても
洋服が汚れると言って僕の手をさっと振り払った。
幼い僕はいつも
母親の後ろをついて歩いたのだ。
そしてその代わりに僕を高価な衣装で着飾らせた。
自分がつれて歩いても恥ずかしくないように。
小学校低学年まではカラフルなイタリア系のブランド物を。
高学年になってからは突然黒っぽい絹や本皮にこだわった。
僕はとても目立つ風貌の小学生で
本当はそういうものよりも皆が来ている
ロボットの絵のかいてるトレーナーとか
安物でも皆とかけ離れていない衣類を着たかったが
それをどうしても母親にいえなかった。

捨てられた夜の記憶。
あの記憶が本当だと言うことは
ほかの記憶も本当なのだろうと思った。
若いときの母親は
すごく感情の起伏が激しくて
僕は何度も怪我をした。
真冬に水道の水を頭からかけられたこともあるし
泣き止まない僕の両手足をネクタイで縛って
押入れに何時間も閉じ込めることもあった。
つねったりたたいたりなんて当たり前のことで
食事を抜かれたことも何度もある。

僕にはそういう記憶がはっきりあるのだけれど
この世に子供を嫌いな親がいるとはどうしても思えず
そういう記憶は
テレビで見たものか
誰かに聞いたことが混ざって
僕になんとなく残っていたのだと考えようとしていた。
だけど
僕の記憶の場所が現実に存在したことは
僕が
母親から暴力を受けていたのだということを
認めざるを得ないということだ。
僕の右腕の内側に残るやけどの跡も
今は薄くはなってるけど
母親が僕の腕に熱湯をかけたものだ。
それは恐ろしい光景で
僕は自分の皮がめくれていくのを泣きながら見ていた。
だけど母親が
おまえが悪い子だからこうなったんだと僕にいい
僕もお母さんが理由もなくこういうことをするはずがないと考えて
こういう目にあうのは僕なんかが生きているから悪いんだ
仕方がないと納得した。
僕はお医者さんにも自分で味噌汁をかぶったと言い張って
そう思いこもうとしたけれど。
それは母親を悪く言いたくなかったこともあるし
僕が悪い子だと周囲にしられるのが怖かったからだ。

僕は嫌われていたんだ
母親に。

今でも母親はほとんど僕の身の回りの世話はしない。
僕より先に出て深夜帰ってくる。
酒の匂いをさせているときもあるし
そうでないときもある。
でもそれは仕方がないことだったのだ。
だって僕はあの人にとって要らない子供だったんだもの。

もちろんこれからも僕はなぎささんといっしょにいたいのだけれど
このうれしい時間もいつか終わるだろうと考えていた。

だって彼女は
本当の僕の事を何一つ知らないのだから。

それは美紀ちゃんにしても
単身赴任を続ける父親に対してもそうで
僕の暮らしは
本当はどこかが狂っている僕を隠すことで成り立っている。

人に嫌われるのが怖くて
嫌な事を嫌だといえなくて
圭吾ちゃんに体を投げ出した
あさましい僕の正体。

僕の脳裏に残るなぎささんの映像を
いいように作り変えながら
自分の快感のために彼女を毎日汚している僕。






僕は
狂っている。










周囲に人がいなくなるころに
僕もカバンに手をかけて
ようやく教室を出ようとする。
窓の外からサッカー部の練習する声が流れてきていた。
去年まで圭吾ちゃんがいたクラブの声が。







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