6.春
チョコレートをもらった。
女の子らしいピンクの包装紙に包まれた
小さな箱だった。
白倉なぎささんは同じクラスの子だったけれど
僕は一度も話したことが無かった。
なぎささんは僕よりうんと背が低くて
長い髪の色素が薄くって
瞳の茶色い女の子で
どちらかというと何時も一人で教室の隅に立ってる女の子だ。
同じクラスの美紀ちゃんが
男子とふざけあったり
女子と大声で笑っているのとは
ぜんぜんタイプの違う人で
本当に静かな感じの女の子だった。
美紀ちゃんをリーダーとする女子が
バレンタインのチョコをイベントのように競い合ってばら撒いていたけれど
僕にはそういうものは
別の世界の出来事だと考えていた。
もちろん僕にも
小学6年生としての顔はある。
日直がくればちゃんとするし
掃除当番だって普通にする。
ランドセルこそ背負わないけれど
修学旅行にだってちゃんと行って
ちゃんと毬藻を見てきて、バターアメを買ってきた。
風呂だけはどうしても皆とは入れなかったんだけどね。
僕の体を皆がどう見るのか
怖かったから。
それはともかく
昇降口で靴をはいていた僕に
なぎささんが近づいてきたのだった。
僕の横に
小さな肩が並んで
彼女は静かに立っている。
僕が靴をはいて
外にでようとすると
少し遅れて足音が追いかけてきた。
僕に用だとは考えていなかったから
僕はかまわず歩き続けた。
「あのっ」
小さい声がした。
「雅人くんっ」
僕なのか?
僕は後ろを振り向いた。
真っ赤な顔をしたなぎささんが追いかけてきた。
「僕?」
赤いポストの横で
彼女は立ち止まった。
ポストに負けないくらい赤い頬で
僕の顔をじっと見つめて。
「あの」
「・・・」
「これを・・・もらってほしくて。」
彼女は布バックから小さな包みを取り出して
僕に見せた。
「雅人くんにもらってほしくて・・・
迷惑でなければ。」
「・・・僕でいいの?」
彼女は黙ってうなづいた。
「・・・ありがとう。」
「それで・・・」
「なに?」
「じつは・・・もうひとつあるんだけど・・・。」
彼女が取り出したのはマフラーだった。
水色の春の空の色のようなマフラー。
彼女の髪の毛のように
細い糸で丁寧に編んであった。
「ごめんなさい。
本当はクリスマスに渡したかったんだけど
どうしても間に合わなくて。
それで雅人君の誕生日と考えたけど
よく考えたら春生まれでしょう?
今だって
十分季節外れだと思うんだけど・・・・
でも
渡したかったの。」
「僕の誕生日を知っているの?」
「・・・美紀さんに教えてもらったんです。」
彼女は小さくごめんなさい、というと
僕の首にマフラーをかけた。
「とても素敵。
雅人君は水色が似合うと思ったから。」
「どうして?」
「なんとなく、なの。
受け取ってくれてありがとう、
もう春だし使うことは無いと思うんだけど
渡せただけで嬉しいです。」
そういうと彼女は頭をぺこりと下げて
逆の方向に走って行った。
彼女の家は僕の地区とは反対方向にあるようだった。
空は青く
日差しはやわらかく
2月も中旬になっていて
日中はまるで春のように暖かい。
もうコートを着る必要もなくて
僕は黒い皮の上着をかるくはおっていた。
それはやはり母親が買ってきたもので
子供の遊び着とは言えない代物だ。
何万円もする本皮を着てる小学生なんか絶対変だと思うけれど
僕にはそういうものしかないので着てるだけだ。
年中黒尽くめの僕は
別に好き好んで烏をやってるわけじゃない。
黒しかないだけなんだ。
ついでを言えば髪だって僕が頼んで染めてるわけじゃない。
僕はなぎささんの匂いがするマスラーを手にとった。
パステルカラーのそのマフラーは軽くてとてもやわらかかった。
そういえば
彼女は何時もピンクや白を着ているなあ、と思う。
手提げかばんにはたくさんのぬいぐるみがぶら下がっていたっけ。
そういう世界は僕には無縁だと思っていたけれど。
僕は思った。
僕の洋服は黒ばかりだけど
一度このマフラーみたいな色を着てみようか・・・。
その日僕は
なぎささんのマフラーを巻いたまま
家に帰った。
翌日
学校に行くと校門の所になぎささんが立っていた。
「なぎさちゃん、おはよう!」
挨拶をしたのは僕と一緒にいた美紀ちゃんだ。
僕のほうがその大声にビックリする。
なぎささんは美紀ちゃんを見るとにっこり笑った。
「美紀さん、おはよう。
雅人君も・・・。」
「・・うん
おはよう。」
たったそれだけの会話だった。
でも僕は満足だった。
なぎささんは僕の右側に並んで歩いた。
美紀ちゃんは昨日の歌番組の感想をしゃべり続けている。
何とかというグループが歌っていたときに音声が切れたそうで
彼女はそれをすごく怒っていた。
「美紀ちゃーん」
教室の窓から数人の女子の顔が見えて
美紀ちゃんに手を振る。
「ほーい」
美紀ちゃんはぴょんぴょんとびはねた。
「まあちゃん、先に行くね!」
「うん」
僕となぎささんは黙って昇降口に向かった。
なんとなく歩調をあわせ
僕は彼女の歩みを待った。
体の小さい彼女は早足で僕のやや後ろをついてくる。
不思議な感じだった。
教室内では僕らは話すことは無かった。
席は思い切り遠かったし
彼女は一人で何か読んでいたし
僕はベランダに出て空を見ていた。
僕らの教室は3階で
見下ろせばベランダの下には中庭が見えている。
半年前にはここから落ちたら死ねるかなあなんて考えてたけど
3階なんて中途半端な高さからじゃあ
生き延びてしまう可能性が高いと知った。
一時僕は自殺の方法を
ネットカフェや本屋なんかで調べてたんだ。
体が動かなくなっても
オムツはめて
点滴で栄養とって生きてしまうなんてイヤだと思った。
それと
昔の写真で何とかという10代の女優が
12階から飛び降りで死んだという写真があって
それはモノクロだったんだけど
脳漿なんかがあたりに飛び散って
明らかに眼球が飛び出て写っていた。
生きてても惨めだけど
死んでもこれは惨めだなあと思った。
その写真を見てから僕は空を見るようになったんだ。
放課後になり
学校に用のなくなった僕は家に帰る。
友達の多い美紀ちゃんはまだ学校に残って遊ぶ。
そして暗い昇降口では
なぎささんが僕を待っていた。
朝は校門から教室までを
帰りは昇降口から校門までを
僕らは黙って歩いた。
毎日毎日。
そして
僕は
学校を休まなくなった。
なぎささんと
その短い距離を歩くためだけに
僕は学校にいった。
小学校のお別れ遠足も終わって
6年生を送る会も終えて
いよいよ小学校の生活が終わるときがやってきた。
卒業式の前の日も
僕を待つなぎささんの姿が校門の所にあった。
白いフリルのついたワンピースを着た彼女は
僕の後をついてくる。
僕は何度も足を止めて彼女の歩みを待った。
僕は
少しコースをかえた。
体育館の裏のほうに歩みを進めた。
なぎささんは黙ってついてきた。
このころ美紀ちゃんは僕とは登校しなくなっていた。
体育館の裏側の入り口の横に大きな椿の木があった。
僕らはその木のところで立ち止まった。
「なぎささん」
僕は慎重に言葉を選んだ。
「今日放課後時間取れる?」
「え・・・」
「僕の買い物に付き合ってくれる?」
「私が?」
「うん。」
「・・・うれしい。」
「明日は親がいるから
もう話せないかも知れない。
だから
今日はなぎささんと話してみたいんだ・・・。」
「いく。
雅人君といく。」
なぎささんは本当に自然に僕の手をとった。
その手はほんとにやわらかくって
小さくって
暖かで
僕は
なんだか感動してしまった。
この手に触れるために
僕は
学校に通っていたのかなあ、と思った。
この小さい体を
ぎゅぎゅっと抱きしめたら
どんなに気持ちいいんだろうなんて素直に思った。
放課後。
僕らは校門までをいつものように黙って歩いた。
最後の下校だ。
なぎささんも何もしゃべらないし
僕もただ頬を赤くして歩いた。
別れ際に僕らは待ち合わせの場所を確認して
それぞれの家へ向かったんだ。
僕を待つ人がいる。
僕と会うのを楽しみにしてくれる人がいる。
そう思うだけでぼくの気持ちははずむ。
自分の家のドアのところで例の人が待ち伏せしていないかそれは心配だったけど
幸い圭吾ちゃんはまだ帰っていなくて
僕は荷物を置いてまた外に飛び出した。
なぎささんに会うために。
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