別に隠していくつもりはなかったけど
圭吾ちゃんが僕らを見ていた、というのは
救いになった。

僕は圭吾ちゃんの「もの」ではないのだから
別になぎささんとデートするのに彼の許可がいるわけでもない。
でも
うまくいえないけど
なんとなく彼に後ろめたい気がしたのは
本当だ。

こういうようなことは
圭吾ちゃんの事を美紀ちゃんに聞いてから
改めて考えただけなんだけど。

春休みになって
僕は毎日外へ出かけた。
美紀ちゃんも友達と色々約束があるようで
僕等はいつまでも幼いままではなくなっていた。
彼女には彼女の付き合いがあり
僕には僕の世界ができた。
大げさな言い方だが
あの部屋で
彼がくるのを怖がったり
出先の商店街で
出会ったりして
気まずい思いをしていた僕は
それでもおなじ行動を繰り返していた。
部屋に明かりをつけてひとりでいれば
美紀ちゃんが食事に誘いにくるんだけど
それは圭吾ちゃんとも会うことになる。
もちろん家族といる圭吾ちゃんが僕を殴るわけでもなく
彼はきれいな顔立ちの
優しいお兄さんで
僕や美紀ちゃんを色々かまって世話してくれるのだ。
手が触れたりすることもあるが
圭吾ちゃんは表情を変えることもなく
僕の気持ちは空回りする。
このおなじ手が
僕の体を傷つけたのに
圭吾ちゃんはそんなことはなかったんだよ、というような顔をしている。

「どうしたの、まあちゃん?
お茶入れたげようか?」

僕専用の湯飲みを取って
お茶を注いだ圭吾ちゃんは
「普通に」僕の前にそれをおく。

そういう時僕は
もう何もかも忘れよう、と思うんだ。
僕だけが「過去」におびえても仕方ないんだと。
「過去」ってどのくらいがそうなのかよくわかんないけど
僕が過ぎたことだ、と考えれば
「過去」になるんじゃないかなあ。

だけど僕は気づいているんだ。
自分が正面から
圭吾ちゃんを見返せないことを。

4月にはいれば
圭吾ちゃんも高校生で
なんだか色々忙がしそうで
もうほとんど顔を合わすこともなくなった。
おばさんたちも仕事が忙しくなり
夕食の誘いも途絶えた。
正直な所
僕は本当に開放された気分になった。

僕はなぎささんの家の方角へ歩いていった。
あえてもあえなくてもよかった。
ただ歩きたかったんだ。
ぼんやりと周囲の景色を見ながら
彼女が普段見ているのはこういう世界なんだなあと
少し嬉しく感じる自分がいた。
なぎささんが僕にチョコレートをくれたのは
たぶん気まぐれだったのだと思うけど
僕に「好意」を示してくれた事実。
僕はそれが嬉しかった。
僕だって少しは気をかけてくれる人がいたんだとおもうと
やはり心が震えた。

僕といても何の会話も続かないのに
僕を待ってくれるなぎささんは
僕に何を求めてるのだろうと
不安がないでもなかったが
僕には彼女の気持ちまで汲み取る余裕はなかった。

なぎささんが
僕といる時間があることで
僕の意識が
圭吾ちゃんから開放される。
僕の中にあるのは
一人が怖いという様な
そんな感情。
嫌な思いをしても
それでも彼にすがりつく自分の感情。
圭吾ちゃんや美紀ちゃんとの「幸せな」関係を失いたくなかった僕を
冷静に見つめる自分が出来た。

僕は毎日空を見上げた。
3月の空はまぶしくて
目が痛い。
誰もいない公園で
僕はベンチに座って空を眺めつづけた。



やがて始まった中学生活。
入学式にめかしこんだ母親は売れないモデルみたいで
かなり目だっていたけれど
僕自身はもう目立つ存在ではなくなった。
髪の毛の赤い
やたら高そうなブランド物を身に纏う
黒尽くめの怪しい小学生はここにはもういなかった。
中学校は制服で
僕はみんなとおなじ
白いポロシャツにグレーのブレザー姿になった。
紺のズボンは安っぽい生地で
濃紺色のネクタイはとても趣味が悪かったけど
似た服装の大勢の中に埋もれて僕は
なんだか安心した。
小学校では目立った背の高さも
中学校ではそう目立たなくなった。
僕の染めた髪の毛も
特に目立つものではなくて
僕はなんだか自由になった・・・気がした。

僕は
学校に毎日かよった。
陸上競技会とか
郊外学習なんかも
違和感なく参加できるようになった。
特に友人は出来なかったが
それは本当をいえば
僕はこれ以上人間関係を広げるのが
苦痛だったからだ。

自分ひとりの相手で
僕は十分疲れていた。

僕は家で着る洋服も
自分で選ぶようになった。
黒一色から
なぎささんの好きそうな
パステルカラーを着るだけで
僕は生まれ変わったような気持ちになった。
母親はそれが不満そうだったけど
いくら与えても僕が黒を着ないものだから
そのうち自分でもいろんな色を買ってくるようになった。
たかが着るものの色のことだけど
それだけのことで自分がやり直せる気がした。
カッターナイフはまだポケットに入っているけれど
それで自分を傷つける回数は減った。

僕は自分の体を
自分でずっときりつけていた。
死にたくなった時
もう人間やめたくなったときに
本当に自分が死にたいのかどうか
僕は本当に生きているのかどうか
そんなことすらわからなくて
それを確認するために
僕は自分の手首にきりつけた。
人間の皮膚は意外と弾力があって
すぱっと切れるわけでもない。
たとえうっすらでも
それを切る為にはかなりの力が必要で
たいした傷が作れるわけじゃない。

だけど冷たい刃が手首にあたり
それをひいたり押したりするときに
僕の心臓はバクバク動く。
頭の中も熱くなる。
冷たいはずの刃が熱くなったときには
僕の肉体の一番表皮が切れている。
うっすら赤いものがにじんできて
脈打つ音を感じたら
僕は満足する。
じわじわとくる「痛み」が僕を安心させる。

僕は生きてるんだと。
まだ僕の体は死にたがってないんだと。
たぶん生きてていいんだと。

こういっちゃうとすごいことに思えるけど
やってる僕にとっては
タバコを吸ったり
お酒を飲む代わりに
体を切ってるだけなんだ。
こうして死にたい気持ちを小出しに出していかないと
僕はいつかその気持ちに負けてしまう気がした。

もちろん
これを一気にやめる自信はないけれど
徐々に減らしていけそうな気がしたんだ。
半そでの季節が近づくことも
リスカをやめようというきっかけにはなった。
幸い僕の傷跡はそう目立つものもなく
これ以上新しくつけさえしなければ
なぎささんに気づかれないのでは、と考えた。

そして僕は絵を描いた。
何かに取り付かれたように絵を描き出した。
クラブ活動は必修で
何かに所属しなければならなかったのだけれど
僕は迷わず美術部に入った。

顧問の先生は写実な風景画を描く人で
細かくうるさい男だった。
正直僕の絵にはあまり感心しなくって
ああしなさい、こうしなさいと
色々手を加えようとしたんだけど
僕は平気で聞き流していた。
僕はうまくなりたいんじゃなくて
ただ描きたかったんだ。
空を。

もともと絵を描くのは好きだった。
白い紙に水彩絵の具で空を描く。
何枚も何枚も描いた。
描いているときは夢中になった。

実際僕の気持ちはどろどろで
何時もなんだか不安定で
突然泣きたくなったり
何もかも投げ出してしまいたくなる、
そんな衝動が突然やってくる。
そういうときは息をするのも苦しくて
とても青空みたいな気分にはほど遠い。
だからこそ
僕は光る雲を描いた。

青い空に浮かぶ白い雲を描きながら
僕は願った。
僕の心もいつか
青空のように
大きく広く透き通ればいいなと
本当にそう思った。








西の空が赤くなって
太陽が傾くころ
僕は道具を片付けはじめる。
かばんを持って
階段を下りると
げた箱の所に
なぎささんが立っている。
僕をみて笑いかける
なぎささんがいる。




20040228加筆
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